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『ドゥ・ザ・ライト・シング』黒人街で白人が営むピザ屋の話【ネタバレ】
今回レビューする作品は『ドゥ・ザ・ライト・シング』。
ニューヨーク州ブルックリンのとある一角、一年で最も暑かった一日を描くヒューマンドラマ。
ヒューマンドラマと言っても、「色んな人種とその暮らし」がテーマであり「心温まる」系ではありません。
『ドゥ・ザ・ライト・シング』 は驚くことに今から約30年前、1989年当時の作品。
服装や街並みに古臭さは感じるものの、作品の内容は2021年の今でも充分楽しめる良作でした。
ちなみに、44代アメリカ大統領のオバマさんが奥様と初めてのデートで観た映画が『 ドゥ・ザ・ライト・シング 』なんだとか。
『 ドゥ・ザ・ライト・シング 』のあらすじ
ブルックリン、その年一番の猛暑の日。黒人街にあるピザ屋でいさかいが起こった。ある者が店内に黒人スターの写真が一枚も貼られていないことで憤慨。経営者のイタリア人はそれを相手にしなかったが、この一件がきっかけとなり、やがて事件が。その日暮らしのアルバイター、飲んだくれの哲人、ピザ屋の主人の息子たち、韓国人のカップル、といった面々を巻き込んで、ついには暴動へと発展していく! 監督スパイク・リーの名を世界中に知らしめたパワフルな衝撃作。
引用元:映画.com
主演・監督はスパイク・リー。
スパイク・リーと言えば映画監督のイメージでしたが、この作品では監督兼主演を務めています。
『ブラック・クランズマン』など人種問題がテーマな作品を手掛けることが多いように感じるスパイク・リー。
今作も例に漏れず人種問題がテーマになっています。
前半はブルックリンの黒人街で暮らす個性的な人々をぼんやり眺めて進み、まるで街の日常を映し出すほのぼの系作品のようです。
ただ後半からはそんなほのぼのムードが一転、人種問題の王道「黒人vs白人」な展開に一気に流れていきます。
ブルックリンのクソ暑いある一日を描いた作品
登場する風景はブルックリンのとある黒人街の一角だけ、とある暑い一日だけを描いた作品。
いわゆる都会なニューヨークは全く出てきません。
- ストリート
- 立派ではない雰囲気の住宅
- イタリア人が営むピザ屋
作品の舞台は主にこの3つを行き来することで進んでいき、街に暮らす黒人とピザ屋を営む白人(イタリア)家族を中心に展開します。
憧れを抱きたくなるタイプのアメリカではなく、現実的なアメリカをまざまざと見せつけられるそんな作品。
やや話は逸れますが、ピザ屋はストーリー上重要なので何度も登場、驚いたのはとにかくまあアメリカのピザがデカいこと。
そりゃ肥満大国になるわけだ。
ブルックリンに暮らす個性的な登場人物とその特徴
『 ドゥ・ザ・ライト・シング 』はごく狭いコミュニティのお話ですが、個性的な登場人物たちのおかげで窮屈さは感じません。
- ピザ屋のバイト:ムーキー(黒人)
- ピザ屋の主人:サル(白人)
- ラジカセを担ぐ男:ラヒーム(黒人)
- トラブルメーカー:バギンアウト(黒人)
- 感じの悪い警官(白人)
中心となるのは主にこの人物達、簡単に作品内での立ち位置や性格をご紹介します。
ピザ屋のバイト:ムーキー(黒人)
ムーキーは今作の主役。
年齢は20代前半くらいで、妻子がありながら定職につかず家にも帰らないロクデナシ野郎。
サルが営むピザ屋でピザ配達のアルバイトして生計を立てています。
週給は250ドル。
ムーキーは厳つい系の黒人ではありません。
どちらかと言えば小柄で華奢な体格、とんでもない不良という感じでもない中途半端な雰囲気が感じ取れます。
今作の終盤、黒人たちによる暴動シーンではサルのピザ屋にゴミ箱を投げつけ窓ガラスを粉砕。
これをキッカケに黒人たちがピザになだれ込み暴れ回ることになります。
ある意味暴動をピークに持って行ったキッカケを作る男。
自分の雇われている店を破壊するとか正気の沙汰じゃありません。
白人という人種を毛嫌いしているわけではありませんが、白人である店主サルを好いているわけではない様子。
給料が安いことや、自分の妹に手を出そうとしている(ムーキーの想像)のがサルへの不信感に繋がっているようです。
ピザ屋の主人:サル(白人)
黒人街でピザ屋を営む白人の中年男性。
イタリア系アメリカ人なのか、はたまたイタリア人なのかはよくわかりません。
ブルックリンの黒人街で25年もの間ピザ屋を営む強靭なメンタルと、25年間愛され続けるピザを作る職人気質な男。
ピザ屋の店内にはイタリア系アメリカ人の著名人の写真を飾っていますが、これがのちに黒人たちの暴動の引き金となります。
黒人街のピザ屋ですから、客もほぼ黒人。
イヤな言い方をすれば「ピザを売って黒人たちから金を巻き上げている」、ピザを買ってくれる黒人たちがいて成り立っているピザ屋なのです。
そんな背景があるピザ屋ですから、「白人の写真ばかり飾るのは気に食わん!」とイチャモンを付ける輩もいる訳です。
サルも信念があるのでそこは全く譲らず、イタリア系白人の写真のみを飾り続けます。
サルが黒人を忌み嫌っているかと言えばそんなこともなく、アルバイトのムーキーには厳しくも愛情を持って接している様子がうかがえます。
ピザ屋に白人の写真ばかり飾るのはさておき、作品を通してサルは「嫌なヤツ」として描かれてはいません。
全然悪人ではないのです。
「全然悪人ではない」ために、作品終盤で黒人たちにピザ屋を破壊されるシーンは考えさせられます。
ラジカセを担ぐ男:ラヒーム(黒人)
ゴリゴリ強そうな黒人がラヒーム。
パツパツのTシャツを着て無口に、いつもバカでかいラジカセからパブリックエネミーの『ファイト・ザ・パワー』を流してストリートを練り歩きます。
「なんじゃコイツ、何がしたいんじゃ」というのが第一印象。
あるときラジカセの電池が切れて韓国人が営む万屋で電池を購入するシーン。
何でスイッチが入ったのか韓国人店主たちにめちゃめちゃ喧嘩腰にまくし立てます。
- 「何で英語話せないだ!」
- 「電池の日付をちゃんと確認しろ!」
ラヒームは怒りのスイッチがよくわからない系の、リアルでいるとちょっと厄介なタイプみたいです。
物語終盤ピザ屋に爆音のラジカセを持って入店、店主サルに愛機のラジカセを破壊されて我を忘れて怒り狂います。
カウンター越しに、小太りで重そうなサルを引っ張り出しぶん投げる怪力を披露。
サルと取っ組み合いになりますが、マウントを取ってサルを圧倒します。
そんなサルとラヒームの喧嘩に街の住人達も集まりだします。
最初は喧嘩の野次馬だった黒人街の住民達も徐々にヒートアップ。
ムーキーがゴミ箱をピザ屋に投げ込んだことを皮切りに、黒人たちの暴動が始まります。
少しして、暴動鎮圧に訪れた警官にラヒームは取り押さえられ、度が過ぎた制圧によりラヒームは死亡。
トラブルメーカー:バギンアウト(黒人)
訳のわからん髪型と訳のわからん名前のバギンアウト。
こいつが本作のトラブルメーカーであり、暴動のキッカケをつくった張本人。
サルのピザ屋で 「白人の写真ばかり飾るのは気に食わん!」とイチャモンを付けたのもコイツ。
バギンアウトは今作で唯一と言ってもいい、白人という人種を毛嫌いしている登場人物でしょう。
人間性だとか損得ではなく「白人だから」嫌い。
先に紹介したピザ屋の白人写真の件で怒り狂っていて、黒人の仲間たちに「ピザ屋をボイコットしようぜ!」と声をかけますがことごとく断られます。
ボイコットを断られる理由は「サルの店のピザが好きだから」。
黒人街で白人が営むピザ屋がいかに愛され認められているかよくわかるシーンです。
伊達に黒人街で25年営業していませんね。
唯一ボイコットに賛同してくれたのがラジカセでおなじみのラヒーム。
バギンアウトとラジカセを爆音で鳴らすラヒームが連れ立ってピザ屋に入り、暴動のきっかけであるサルとラヒームの喧嘩が始まるのです。
感じの悪い警官(白人)
物語の重要部分である暴動の鎮圧シーン。
サルとタイマンを張っていたラヒームを引きはがし取り押さえます。
白人警官と黒人の暴れん坊、これは嫌な予感しかしません。
予感は的中、取り押さえの度が過ぎてラヒームは死亡。
現実世界でもたびたび報道される「白人警官と黒人」の事件と全く同じ構図です。
ただ、この白人警官は「黒人」を人種差別的に殺してしまったわけではないと考察しています。
理由は以下の通り。
作品序盤、猛暑にあえぐ若者たちが街の消火栓をいたずらして豪快な水遊びをするシーン。
そこに感じの悪い裕福そうな白人男性が屋根の開いたクラシックカーに乗って現れます。
「車に水をかけるなよ!」と若者たちに凄みますが、ダチョウ倶楽部の前フリよろしく若者たちはもちろんクラシックカーに水を掛けるのです。
そこで白人男性は白人警察官に「黒人の若者を捕まえろ」的なことを言いますが、面倒そうに軽く流します。
これは仕事に熱心じゃないことを表現したかったのと、黒人を人種差別的に扱っていないことを表現したシーンと考えています。
白人警官が人種差別的に黒人を嫌いだとしたら、このシーンで無理やりにでも黒人をとっつかまえていたことでしょう。
作品のラストは悲惨だが、一体誰が悪いのか
この作品を観て、世に溢れるニュースは映画でいうラストしか切り取られていないことに改めて気づかされます。
作品のラストだけを見れば「白人警官が黒人の命を奪う」。
ですが、順を追って経過を辿ればラヒーム(黒人)が一方的な被害者かと言えば全くそんなことはありません。
作品を最初から最後まで鑑賞した人に「一体誰が悪いのか?」と質問したとしましょう。
それに対して「白人警官」と答える人は一体何人いるでしょう。私も「白人警官」とは答えません。
ゴリゴリマッチョな上、アドレナリン出まくりで戦闘モードに入っているラヒームを取り押さえるのは容易ではありません。
職務とはいえ警官も命がけなのです。
では白人警官が全く悪くないかと言えばそれもまた違います。
ラヒーム取り押さえ中、同僚警官が「やりすぎだ!」と咎めるシーン。
白人警官の取り押さえに問題があることもこのシーンでよくわかります。
ラヒームが死んでしまった直接の原因は紛れもなく白人警官。
しかし、取り押さえるような状況を作ったのは誰なのか。
元を辿れば「一体誰が悪いのか」という答えは簡単に出せません。
この辺がこの作品に複雑さをもたらし、面白さに繋がっているのは間違いなしです。
それぞれの主張だけを切り取ると、誰も間違ったことは言っていない。
ただ、間違っていない主張もコミュニティの中に解き放たれるとそう単純な話ではなく色々な人の感情や考えが絡みついてやがて争いの火種になってしまうのです。
30年前とあまり変わっていない現代の人種問題
ということで、 『ドゥ・ザ・ライト・シング』 ネタバレ考察レビューでした。
この作品が現代でも「ふーん」と納得できるのは、30年前と何ら変わっていない現代があるからこそ。
2020年アメリカ、ジョージ・フロイドという黒人が白人警官の不適切な拘束により亡くなってしまう悲しい事件がありました。
『ドゥ・ザ・ライト・シング』のラストとまんま同じで、1989年と2020年で何ら変わっていない現実に驚きます。
人種問題に直面しない私たち日本人。
知らない世界を覗ける映画作品はやはり刺激的で面白い。