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【アメリカンニューシネマ】目指すは映画マニア!映画史をさらりと解説
今回のテーマは「アメリカンニューシネマ」。
アメリカ映画好きならご存じの方も多いワードでしょう。
アメリカンニューシネマとは、1960年代後半~1970年代半ばに巻き起こった映画界のとあるムーブメントの事。
単にジャンルとして用いられる場合もありますね。
映画史においてアメリカンニューシネマは非常に重要。
話しのネタにでも、この機会に是非興味を持って頂けたら幸いです。
ということで、今記事では「アメリカンニューシネマ」について解説します。
極力難しい言葉抜きで説明するのでご安心を。
10年程度で「アメリカンニューシネマ」旋風は下火に向かいます。
が、今なお「アメリカンニューシネマ」的作品は作られていて、映画界において「アメリカンニューシネマ」の影響は現代にも生きています。
アメリカンニューシネマの作風・特徴はモヤモヤ&説明不足
まず「アメリカンニューシネマとは?」という基本的な部分。
アメリカンニューシネマとは、映画ジャンルではなく映画界におけるムーブメントのことです。
1960年代後半~1970年代半ばに作られた「反体制的」(アメリカンニューシネマの特徴の一つ)な映画作品のことを指して、それらをカテゴリとして「アメリカンニューシネマ」と呼んだりします。
なので、「アメリカンニューシネマ」をカテゴリの一つとして認識してもOK。
映画界における時代のひとつと解釈しても良いでしょう。
ちなみに「アメリカンニューシネマ」は日本での呼称、アメリカでは「ハリウッド・ルネッサンス」「ニュー・ハリウッド」なんて呼ぶようです。
アメリカンニューシネマの作風・特徴を知るにはまず鑑賞
アメリカンニューシネマには、以下4つの大きな特徴があります。
作品を鑑賞した方なら「ああ、確かに」と納得して頂けるでしょう。
- バッドエンド(アンチハッピーエンド)
- 暴力・性的シーン
- 説明不足とメッセージ性の強さ
- 主役がヒーローじゃない(アンチヒーロー)
あくまで大まかな特徴。
水戸黄門的な勧善懲悪!最後は全て円満解決!
なんてご都合主義な展開は一切ありません。
容赦ない暴力シーンもあれば、性的描写も多い。
救いのない主人公が、結局救われないままエンドを迎えることなんてザラ。
いわゆるバッドエンドな作品が多く、好みがハッキリ分かれるでしょうね。
強烈な個性を持つ一方で、当時のアメリカ国民が抱えていた不満感情・当時のアメリカ世相を写し出すメッセージ性の強い作品が多いのが特徴であり魅力。
国民感情を味方につけたムーブメントと言っても差し支えないでしょう。
犯罪者や社会的弱者を主人公にした作品も多いのも見逃せない特徴です。
それから、全体的にナレーションやセリフ・字幕による説明が物凄く少ない。
説明不足もいいところです。
「ん?今のシーンはどういう意味だ?」なんてことは茶飯事。
そんな疑問を自分なりに解釈したりネット検索したり。
何回も鑑賞して、映画が伝えたいメッセージを考察するのもアメリカンニューシネマの醍醐味なのです。
オススメのアメリカンニューシネマ3選
言うまでもありませんが百聞は一見にしかず。
アメリカンニューシネマの作風・特徴は、実際に作品を鑑賞するのが手っ取り早く間違いなし。
下記3作品は私が好きなアメリカンニューシネマ作品。
アメリカンニューシネマ入門には持ってこいの名作なので、未鑑賞の方は是非。
先ほど説明した特徴を何となくでも感じ取って頂けることでしょう。
映画界の事情とアメリカの世相から生まれた新境地
ご都合主義なハッピーエンド大好きハリウッド映画界に、なぜアメリカンニューシネマが一世を風靡したのか。
理由は主に2つ。
- 1940年代~1960年代における映画界の変革
- アメリカ国内におけるベトナム戦争への不満
アメリカンニューシネマをネットで調べると、「ベトナム戦争に対する不満」の影響を指摘する記事が目立ちますが、単純にそれだけではありません。
ベトナム戦争でお国に不満を抱えていた世相ももちろん重要要素。
ですが、それと並行して映画界が丁度変革期を迎えていたこともムーブメントを巻き起こした大きな要因のひとつなのです。
旧態からの変革期にあった映画界
アメリカンニューシネマの誕生を後押しした映画界の主な変革は下記3点。
- スタジオシステムの崩壊
- ヘイズコードの規制緩和
- ヌーベルバーグの登場・台頭
1940年代までのハリウッドは「スタジオシステム」と呼ばれる構造ができていました。
これは大手映画製作会社が製作・配給・上映を独占するという、今考えればいかにもヤバそうなシステム。
どんな世界も閉鎖的で一部の人が至福を肥やすような仕組みはいずれ崩壊するのが世の常なのです。
スタジオシステムの何が問題かと言えば、監督や脚本家が好きなように作品を作れなかった点。
攻めた奇抜な問題作より、安定した興行を稼げる作品を作った方が商売として正解なことは容易に想像がつくでしょう。
ただまあ、そんなスタジオシステムは裁判やらテレビの登場やらで次第に力を失い崩壊。
当時の映画製作会社の経営陣からすればコノヤロー展開ですが、今日の映画事情を見ればスタジオシステム崩壊は決して間違いではなかったと感じます。
こうして監督や脚本家達は、経営陣の顔色を窺いながら指示に従う作品作りから解放されます。
そしてスタジオシステムと並び自由な作品作りの足かせとなっていた「ヘイズ・コード」。
暴力や性描写・政治的な表現・過激な言葉を禁じていた規制ですが、この「ヘイズ・コード」が規制緩和されます。
監督・脚本家が描きたかった作品をより自由に作れる環境があれよあれよと整っていきます。
そしてトドメはヌーベルバーグ。
アメリカ映画界における黒船の襲来です。
当時フランスでヌーベルバーグ(作家主義)と呼ばれる、若い映画監督達による既成概念をぶっ壊した新しい映画への挑戦が活発になっていました。
それがアメリカにも波及、ハリウッド映画界も若い監督達の登場台頭により急速に世代交代を迎えるのです。
畳みかけるように、欧米からの影響も受けるハリウッド。
変革期っていうのは、色んな事が一気に押し寄せる定めなのでしょう。
ベトナム戦争への不満と反体制的な思想
映画界の変革と合わせて理解しておきたいのが、当時のアメリカ国内におけるベトナム戦争への不満。
特にアメリカの若者による政府への不満は物凄かったようです。
そりゃあそうです。
いつ徴兵されるかわからない若者たちにとって、ベトナム戦争は「遠い国で起こっている惨事」ではなく極々身近な問題なのは容易に想像できます。
ただまあ、若者がいくら政府や国に不満をぶつけようとそう簡単に変わらないのが世の常。
当時のアメリカも例外ではなく、いくら国民が「ベトナム戦争反対!やめろ!」と叫ぼうとそう簡単に終わらせられるはずがありません。
そんなぶつけてもぶつけてもどうにもならない不満を、当時の映画監督達が上手いこと掬い上げて作品にしたのがアメリカンニューシネマ。
そんな事情もあり、アメリカンニューシネマの主人公は善人・聖人なヒーローではありません。
犯罪者・社会的弱者・政府に不満を持つ反体制的な人物が主役なのです。
アメリカンニューシネマは、そんなどうにもならない不条理と向き合う人々やその心情を色濃く反映させている作品なんですね。
先ほど紹介した「映画界の変革」もあり、監督達が好きなように作品を作れる環境が整っていたことも好影響。
アメリカンニューシネマに明確な定義はない
ここまで「アメリカンニューシネマ」についてアレコレ説明してきました。
が、実は「コレがアメリカンニューシネマだ!」なんて明確な定義はないんですよね。
1960年代後半~1970年代半ばの作品で、先ほど紹介した作風・特徴に当てはまっていれば「アメリカンニューシネマ」。
もっと乱暴に言えば、鑑賞した方が「アメリカンニューシネマだ!」と感じればそれはもうアメリカンニューシネマ。
そもそも歴史なんてそんなもんです。
後世に残された人達が勝手にカテゴライズしたに過ぎません。
当時作品を作っていた人達はアメリカンニューシネマを意識することなく一生懸命作っていた訳で、今になって振り返るとアメリカンニューシネマ的作品がこぞって作られた時代があったというだけのこと。
時代にネーミングするのは当時を生きている人ではなく後世を生きる人達。
つまり私たちが「アメリカンニューシネマ」と思えば、そこがアメリカンニューシネマの時代なのです。
一般的には1967年『俺たちに明日はない』~1979年『地獄の黙示録』をアメリカンニューシネマとカテゴライズすることが多いようです。
当然これにも反対意見があり、ベトナム戦争終結の1975年までの作品がアメリカンニューシネマだと主張する方もいます。
定義がない以上は、どんな解釈も正解であり不正解。
この辺は各人の好みで解釈すればよろしいでしょう。
ベトナム戦争の終結で下火となるアメリカンニューシネマ
一世を風靡したアメリカンニューシネマ、始まったものはいつか終焉を迎えます。
映画界も例外ではなくブームは長く続きません。
アメリカンニューシネマがいつからいつまでと明確な定義がないことは先ほど解説しましたが、ベトナム戦争終結の1975年あたりを境にアメリカンニューシネマは徐々に下火に向かいます。
1970年代後半には『ロッキー』『スターウォーズ』など、アメリカンニューシネマ以前のいわゆるハリウッドらしい商業主義的作品が復権します。
ベトナム戦争も終結、国民も明るいヒーロー的娯楽を求め始めたのでしょう。
アメリカンニューシネマ的作品は大好きですが、商業主義的なハリウッド映画あってこその輝き。
アメリカンニューシネマは陰・商業主義ハリウッドは陽といった感覚で、どちらもあってこそどちらも輝くのは間違いありません。
バッドエンド作品は好きですが、さすがに世の中そればかりだと具合が悪くなります。
アメリカンニューシネマ的な作風は今にも残る
アメリカンニューシネマの時代は終焉しましたが、その影響は現代にも色濃く残ります。
例えば最近観て印象的だった作品『JOKER(ジョーカー)』。
漫画実写化の元祖と言っても過言ではない、ご存じバットマンの宿敵ジョーカーの誕生を描いた作品です。
それから邦画で言えば『そこのみにて光り輝く』。
これは家族・仕事・恋・介護をごちゃまぜにしたいかにも重そうな作品です。
この2作品はアメリカンニューシネマ的作品でしょう。
他にもアメリカンニューシネマ的な作品は現代にも溢れていて、1960年代後半~1970年代半ばまでのたった10年弱が及ぼした映画界への影響は計り知れません。
「もしもあのときアメリカンニューシネマというムーブメントがなければ・・・」。
娯楽ハッピーエンド商業主義な作品ばかりな映画界であれば、少なくとも私は映画好きになっていなかったのは確実。
ありがとう、アメリカンニューシネマ。
これからもよろしく、アメリカンニューシネマ。
アメリカンニューシネマが、映画史に残した影響は計り知れません。